なんと生涯で敗訴73回!それでもめげない戦国武将・曲淵吉景のまっすぐで不器用な人生 (3/6ページ)
そんな調子で、どこまでも真っ直ぐに忠義を尽くした勝左衛門が板垣家を離れたのは天文十三1544年。晴信が信州佐久の小田井城を攻略した際、城主の小田井又六郎(おたい またろくろう)、小田井一郎左衛門(いちろうざゑもん)兄弟を討ち果たす武功により、晴信の直臣(※)に取り立てられたのでした。
(※)じきしん。大名に直接仕える家臣。家臣の家臣は「陪臣(ばいしん)」と言います。
「御屋形様……この偏屈者を、草履取りよりお取立て下さった御恩は、決して忘れませぬ」
「何を大袈裟な……これまでもこれからも、武田家のために奉公するのは変わらぬではないか」
「……御意」
「お父上から受けた御恩を……」落ちぶれた弥次郎に最期まで仕えるかくして一度は板垣家を離れた勝左衛門が再び戻って来たのは、十年以上の歳月が流れた弘治三1557年ごろ。
天文十七1548年「上田原の合戦」で信方が討死してしまい、その嫡男である板垣弥次郎信憲(やじろうのぶのり)が家督を継承します。