政略結婚にも愛はあった。武田家滅亡に殉じた悲劇のヒロイン・北条夫人【上】 (2/6ページ)
八面六臂の大活躍で領土を武田家史上最大にまで広げ、こと父でさえ落とせなかった高天神城(現:静岡県掛川市)を攻略するに至って「ついに父を超えた」と有頂天になります。
しかし、家老たちは「いや、そういうことじゃないんだ。信玄公が亡くなってまだ新体制が整っていない内からそんなイケイケだと、いつか足元をすくわれるから自重しろ」と諫めるばかりで、一向に勝頼を評価してくれません。
面白くない勝頼は、信玄公以来の家老よりも、自分の取り巻きばかりを重用するようになり、いっそう確執を深めていきました。
そんな中で勃発した長篠の合戦(現:愛知県新城市。天正三1575年5月21日)。武田軍およそ2万前後に対して、織田信長(おだ のぶなが)および徳川家康(とくがわ いえやす)の軍勢は3万から7万(諸説あり)。
何もないところで真っ向から(兵の練度はほぼ同じ、かつ謀略などなしで)戦った場合、普通は数の多い方が勝ちます。
「勝てませんよ!もっと我らが優位に戦えるところまで敵を誘い込みましょう!」と決戦を諫める家老たちに対し、取り巻きたちは「いや、物見の報告によれば、敵の兵は前情報より少ないみたいだから勝てますよ!」と進言。
ここで勝頼は考えます。