政略結婚にも愛はあった。武田家滅亡に殉じた悲劇のヒロイン・北条夫人【上】 (1/6ページ)
昔から結婚は「家同士のつながり」と言われますが、戦国時代はその意味合いがより強く、両家の存亡を賭けた政略結婚が当たり前でした。
しかし、だからと言って愛情など全くなかったかと言えばそんな事もなく、古来「馬には乗ってみよ、人には添うてみよ」と言う通り、いざ一緒となってみれば、よい夫婦として終生を共にする例も少なくありません。
そこで今回は、武田家に嫁ぎ、その滅亡に殉じた悲劇のヒロイン「北条(ほうじょう)夫人」の生涯を辿ってみたいと思います。
長篠の合戦に敗れ、斜陽の武田家に嫁ぐ北条夫人は永禄七1564年、相模国(現:神奈川県)から坂東一円に勢力を広げていた北条氏康(ほうじょう うじやす)の六女として誕生。本名は不明、母親は松田(まつだ)殿と言われます。
勝頼に嫁いだ北条夫人。高野山持明院蔵(Wikipediaより)
彼女が甲斐国(現:山梨県)の戦国大名・武田勝頼(たけだ かつより)に嫁いだのは天正五1577年1月22日、それまで争ったり同盟したりを繰り返していた北条・武田両家の仲立ちとなりました。
少し時を遡りますが、勝頼は元亀四1573年に亡くなった偉大なる父・武田信玄(しんげん)公の覇業を継いだものの、家老たちとの間に確執を抱えており、何とか認められようと必死でした。