2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」北条義時以外の構成メンバーは?その顔ぶれを紹介! (4/8ページ)

Japaaan

『曾我物語』によれば、頼朝公と北条政子との仲を取り持ったとも言われています。

長い付き合いもあって頼朝公から篤く信頼され、何かあるとしばしば私邸を訪ねたそうで、もしかしたら政子の愚痴でもこぼして(聴いてやって)いたのかも知れません。

そんな盛長だからさぞや出世したことだろうと思いきや、生涯を通して官職につくことはなく、無欲であったことや、そして頼朝公とフラットな主従関係を保ちたかった気さくな人柄が察せられます。

梶原景時(保延六1140年~正治二1200年)

梶原景時。Wikipediaより。

頼朝公の懐刀として辣腕を奮い、「鎌倉ノ本体ノ武士(理想的な鎌倉武士)」と称せられた傑物。元は鎌倉党の一族として頼朝公と敵対するも、石橋山の合戦(治承四1180年)で頼朝公の窮地を救ったことで信任を得ました。

京都の公家たちとも親交が深かった文武両道の士で「一の郎党」とも高く評価されましたが、一方で讒訴(ざんそ。他人を陥れる訴え)によって多くの御家人を葬り去ったことから、後世の創作では多く「大悪人キャラ」にされてしまいます。

しかし、それは往々にして「頼朝公が心密かに望んだこと」であり、幕府の統制を保つ上で必要な「汚れ役」「憎まれ役」だったのですが、最大の理解者である頼朝公の没後はたちまち失脚。あえなく粛清されてしまったのでした。

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