立川志の輔×渡辺正行「談志師匠が富山県知事に頭を下げてくれて…」爆笑スペシャル対談 (5/6ページ)

日刊大衆

それでいて、高座では、「成るようにしかならねえよ」というような顔をしながら披露する。そのギャップがすごかったし、怖ろしかった。そして、それが、いかに大事なことかを教えてくれた。だからこそ、師匠への尊敬がずっと続いたんだよね。

渡辺 やっぱり談志師匠の下にいたから、志の輔さんの今があるんですね。

立川 もちろん。談志が師匠じゃなかったら、俺は、こんなふうな落語家になってなかったよ。なにしろ、28歳で入門した半年後に、師匠が落語協会を脱退するという事件があって、寄席に出られなくなったわけだから。そのとき、師匠が言ってくれたんだよ。「寄席を経験できなくても、俺が一人で、お前を育てれば、それでいいんだろ? だから、ここにいろ」って。

渡辺 そうだったんですか……。

立川 「落語をやる場所なんて、自分で探してこいよ。どうしても客がいなかったら、宗教に入るとか、いろいろあるだろ?」ってね(笑)。

渡辺 あははは。

立川 だから、自分で場所探しや客集めをやらないといけなくなってね。そこからだよ、寄席に出てる他の落語家さんたちとは違う、劇場型の落語家生活を送るようになったのは。

■黙って舞台袖から見ていた談志

渡辺 当時、志の輔さんはいろいろと企画して、落語を披露してましたもんね。下北沢の駅前劇場とか、小さな劇場を借りたりして。

立川 そうそう。下北沢駅前劇場で毎週水曜日の夜10時から1時間、雨の日も風の日も、52週やったなあ。

渡辺 師匠は自由にやらせてくれたんですね?

立川 うん。それはすごかったよね。入門して5年もたたないうちに、歴史があって収容人数も多い銀座の博品館劇場で独演会を開いたときも、まったく怒らなかったもん。

渡辺 へえ〜。

立川 独演会っていったって、お客さんはすぐに集まらないよ。それで、俺は富山県出身だから、チケットに鱒寿司をつけた。チケット代3000円だったんだけど、鱒寿司は1000円相当(笑)。そしたら、田舎の人たちが応援してくれて、ワンカップの地酒と富山の薬も提供してくれて。

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