「誕生」は元々人ではなく仏や菩薩のみを対象に使う言葉だった (1/2ページ)

心に残る家族葬

「誕生」は元々人ではなく仏や菩薩のみを対象に使う言葉だった

私は、先日誕生日を迎え一つ歳をとった。ここでは死生観を重点としたコラムを書いてきていたが、誕生から仏教を見てみたいと思う。誕生を辞書で見てみると、「人が生まれる事」または「人が子どもを産む事」とされている。ただ、中国の書籍「漢訳仏典」に興味深い記述がある。漢訳仏典とは、中国にて外来から伝わった仏教を漢字に訳した辞書である。そこに「誕生」を使用していた対象は、仏や菩薩が生まれる場合のみだったそうだ。古来の日本でもその用法が踏襲されているそうだ。

■仏や菩薩だけだったのが徐々に範囲を広げてやがて人も含まれるようになった

時代は進み院政時代(平安時代末期から鎌倉時代にかけて)においては、仏・菩薩以外に僧侶が生まれる際にも使用されていた。ただ限られた仏教においての位の人のみ当てがわれていたのは驚きだ。私たち庶民というのか、広く一般的に「誕生」を使うようになったのは近代のようである。

よくよく調べると、誕生日という概念は昭和に入ってからのようで、それ以前は新年を迎えたら全員一斉に1才歳をとる、数え歳方式が主流だったようだ。


■誕生を仏教的に捉えると

現代では、誕生日は各々にとって大切な日となりプレゼントやケーキなどで盛大にお祝いしたい気持ちになる。ただ、仏教の点から考えると、「おめでとう」は少し違和感を感じるようだ。仏教にとって「誕生」は四苦八苦の始まりである。「おめでとう」と言われて苦しみが始まると、なんとなく地獄へ誘われているように感じる。

それは言い過ぎとして、「おめでとう」よりもこの世に生を授けてくれて、もしくは生まれてきてくれて「ありがとう」という言葉が当てはまるようである。私達は、自力で現世に生まれたのではなく産んでくれる人がいるから誕生したのであり、四苦八苦の世に放たれたのは宿命ではあるが、この世とのご縁で結ばれたのである。なので、親にしかり、兄弟、友人にも縁を喜ぶ言葉として伝えても良いのでは。

逆に、命日は浄土へ旅立たれた誕生日になる。この世での人生が終わり、阿弥陀様の元での生まれ変わる、いや、生まれ直すというのか。その際に唱えるのは「南無阿弥陀仏」になるようだ。

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