尊皇攘夷の志半ばに…誤解が生んだ幕末4志士の悲劇「四ツ塚様」事件【上】 (1/4ページ)

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尊皇攘夷の志半ばに…誤解が生んだ幕末4志士の悲劇「四ツ塚様」事件【上】

時は幕末、尊皇攘夷の志に燃え、日本を生まれ変わらせるべく東奔西走した無数の志士たち。

明治維新が成し遂げられた一方で、その奇跡を目にすることなく志半ばに斃れていった累々たる志士たちの存在なくして、今日の日本はありません。

そこで今回は、誤解から非業の死を遂げた4名の志士たち「四ツ塚様(よつつかさま)」事件を紹介したいと思います。

選抜された4名の志士たち

元治元年(1864年)12月、必死の外交努力によって絶体絶命の四境戦争(第一次長州征伐)を回避した長州藩(現:山口県西部)。

長州藩主・毛利敬親。Wikipediaより。

「このままでは収まるまい……一人でも多くの同志を集め、徳川方(幕府軍)の侵攻に備えねばならぬ!」

明けて元治2年(1865年)2月、長州藩は各方面へ同志を募る遊説の使者を派遣。作州方面(美作国。現:岡山県北東部)へは以下の4名を選抜します。

一、岡元太郎敦(おか もとたろうあつし)
天保7年(1836年)生まれの30歳。岡山藩(現:岡山県南東部)に仕えていたものの、文久3年(1863年)に「足利三代木像梟首事件(※)」への関与から脱藩。

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