写経はどうして生まれたのか。写経によってどんな効果が得られるか。 (2/3ページ)
これを写経することは、瞑想の説明を読んだり書いたりすることで瞑想(写経)するというわけのわからないことになってしまう。重要なことはお経の意味ではなく、お経それ自体に神秘が宿っていると信じることである。玄侑宗久は意味など考えずにとにかく唱えることだと述べている。一文字一文字に仏が宿るとされる教えは「言霊」を重んじる日本人には相性が良かったのだろう。
■写経の心理的効果
現代においても写経に霊験はあるだろうか。少なくとも写経をすることによって心理的な効果が期待できるという考察がある。写経は専用のテキストなども販売しており自宅でもできるが、やはり寺院の写経教室などに参加する方が効果は高いようだ。何故なら寺院で写経を行うという行為は、非日常的空間の中で非日常的行為を行うことである。寺社は世間から隔絶された神秘的な空間。座禅道場、一日出家体験などが人気を博しているのは疲れきった日常からのインナートリップをしたいためと思われる。
中尾将大(大谷大阪大学)はこの日常と非日常の循環による「気づき」の効果を指摘している。中尾によると写経参加者は非日常的空間(寺院)から日常生活へ帰還する。そして日常生活の中で新たな悩みや問題を抱え、また寺院に戻り、再び帰還する。この循環の中で解決を積み重ね、少しずつ成長していく。その成長とは「人格の成長・智慧の開発(仏教では仏になる)」のことだという。特に寺院でなくてもジムや習い事、外国でも非日常的体験は得られる。しかしここで指摘されるような「成長・開発」の獲得を写経に期待できるのは、写経が瞑想の一種であるからだと思われる。力を持つと信じられている聖なる言葉の一文字一文字を丁寧に書き没我することで、瞑想、マインドフルネス的な効果が得られるのではないだろうか。さらに深く追究していけば、いわゆる「三昧」の境地に達することも不可能ではない。写経は元々仏道修行なのだから当然ではある。
■手紙に込められた「思い」
そこまで高邁な目標を掲げなくとも、写経の参加者は心を込めて言葉と向き合う。親しい人に手紙をしたためる心持ちに似ているようにも思える。最近は手書きで手紙を書くことも少なくなった。一字一句に気を配り、誤字脱字、言葉の選び方に気を配りながら思いを綴るのは中々に大変な作業である。