仏教の総合大学と呼ぶに相応しい比叡山延暦寺を開いた天台宗の最澄 (2/4ページ)

心に残る家族葬

そこで天台智顗は、世界の本質は「空」であっても、私たちはこの「仮」の世界を生きていることも事実である。つまり「仮」にも「空」にも捉われることなく現実世界をありのままに生きていく。これが「中」である。

このありのままの思想は日本に渡りさらに発展を遂げた。それが「天台本覚思想」である。いわゆる「山川草木悉皆成仏」と言われる境地で、世界の隅々まで仏性で溢れており、全てはありのままで悟った姿であるとする。この「ありのまま」の思想は宗教に留まらず、日本の文化、日本人の精神性に大きな影響を与えた。


■天台宗の影響力とその功績

鎌倉仏教の祖師たち、法然(1133〜1212)、親鸞(1173〜1262)、道元(1200〜1253)、日蓮(1222〜1282)などは、いずれも比叡山で仏法を学んでいる。彼らは総合大学・天台宗で学んだ仏教各分野の中から、念仏、禅、題目などを選択し、それぞれひとつの道を深めていった。 浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗らは天台宗の分派だと言っても誤りではない。天台宗は宗教的にも歴史的にも多大な影響を与えたのである。

天台宗がなかったら日本の文化はどうなっていたか想像ができない。それにも関わらず天台は人気がない。総合的で複雑な体系と、開祖の最澄が地味な印象を残していることが大きいといえる。その一因として最澄のライバル、空海の存在がある。

■最澄のライバルとも言える空海の存在は天台宗の不人気の一因

世に名高いライバル関係として比較される空海(774〜835 )は真言密教の正統伝承者であり、様々な異能を発揮した天才であった。密教は当時中国を席巻した最先端の仏教で、密教を重要視しなかった最澄も帰国間際に急ぎ足で密教の入門儀式である灌頂を受けた。帰国後の最澄を待っていたのは密教待望の空気だった。最澄が情熱を注いだ天台教学より、ついでの土産のようなものだった密教こそが求められていたのだ。世の人々は学問と瞑想というストイックな天台教学より、病気を治癒し雨を降らせるとされた密教の呪術性に期待した。そこへ真言密教の全伝を伝承し、様々な法具を持ち帰った空海が現れた。空海の才能は文学、芸術にも発揮され時の天皇(嵯峨天皇 786〜842)に重用された。

「仏教の総合大学と呼ぶに相応しい比叡山延暦寺を開いた天台宗の最澄」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る