明和の大火の火元の大円寺は、その責を負って76年再建されなかった (3/4ページ)
■増上寺にてホテルニュージャパン火災の犠牲者を供養した

また、ホテルニュージャパン火災においても、後に刑事責任を問われ、禁錮3年の実刑判決を受けた経営者の横井英樹(1913〜1998)によって、火災から5年後の1987(昭和62)年2月8日、火災当日に仮通夜が営まれた港区芝公園にある増上寺(ぞうじょうじ)の三解脱門(さんげだつもん)をくぐった左手脇に、聖観世音菩薩が建立された。その台座には、「ホテルニュージャパン罹災者のみたま/とこしえに安からんことをお祈りして」と刻まれている。
■最後に…

「明和の大火」の残骸はもちろんのこと、今日、ホテルニュージャパンの跡地には、2002(平成14)年に開業した38階建ての「都市型コンプレックス」を誇るプルデンシャルタワーが建っている。そのため、かつては両翼に地上10階の窓と壁の線がくっきりと別れ、その横の線が強調された大ビルを背負う格好で長さ61m、高さ10m余りのタイル張りの大壁面がしつらえられ、更に10階建ての建物が四方に胸を突き出したように屹立していた外貌から「そのボリュームの美しさがあたりを睥睨して、一度は入ってみたくなるような気分を出させる」と評されたホテルニュージャパンが存在していた痕跡は全く残っていない。しかし、「ここ」に限らず、また、「都会」「田舎」を問わず、大規模火災が起こる可能性は決してゼロではない。当たり前に日々、火を使い、生活を営んでいる我々だが、「火」の威力を正しく恐れ、「火の用心」に心がけたいものである。