明和の大火の火元の大円寺は、その責を負って76年再建されなかった (1/4ページ)
今現在、世界中の人々が恐れていることは、変異株も登場した新型コロナウィルスの感染拡大、そして先の見えない収束が挙げられるだろう。しかし、「恐ろしいこと」は何も、伝染病ばかりではない。「地震 雷 火事 親父」ではないが、火事は人類にとって、今日もなお、大いなる驚異のひとつである。
■ホテルニュージャパンの大火事
そのような怖い「火事」だが、戦後から今日までの日本において最も衝撃的だったもののひとつは、1982(昭和57)年2月8日月曜日の深夜3時39分に、日本の中枢である国会議事堂や首相官邸からもほど近い、東京都千代田区永田町2丁目に位置した、地下2階、地上10階建て、テナント数26店舗、建築面積5287㎡、延べ面積46697㎡、宿泊室数は420室、収容人員2946人という、大規模かつ「国際的」なホテルだった、ホテルニュージャパンで発生したものが挙げられるだろう。
■日本中が震撼したホテルニュージャパンの火災
設計は、早稲田大学の大隈講堂や東京・新橋の新橋駅前ビルで知られる佐藤武夫(1899〜1972)によるものだ。そして内装を手掛けた、世界的に著名な剣持勇(1912〜1971)が「このホテルが海外一流ホテルの亜流となるためではなくて、如何にユニークネス(uniqueness 唯一無比)をうちたてるか」と語っていたように、ホテルニュージャパンは、戦後復興を見事に遂げた日本、そして「国際都市」東京を象徴するホテルとして開業したのである。しかし火災は、9階に宿泊していた客の寝たばこの不始末から発生した。しかも不運なことに、ホテル内部にスプリンクラーなどの消火設備、危険を知らせる火災報知器や放送設備などが完全な形で整えられていなかったことから、当日は352人の宿泊客がいたというが、死者33人、負傷者34人にも及んだ大惨事となった。しかも死者のうちの13人は、火災による一酸化炭素中毒や全身やけどなど、直接的なものではなく、火から逃れるために、窓から飛び降りたことが原因だった。649人の消防署・消防団員、ポンプ車48台、はしご車12台を含む123台の緊急車両が出動し、消化・救助活動を行った。鎮火は9時間後の12時36分。その間、テレビで逐一、火災の様子が生中継され、日本全体に衝撃を与えた。