日本経済の必須スキル!渋沢栄一が明治時代に導入した簿記システムのエピソード (1/4ページ)
すべての取引を貸・借の二つに仕訳(分けて記録)し、資産・負債・資本・収益・費用の5要素にまとめ上げて企業の財務状況を把握する財務諸表(貸借対照表・B/Sと損益計算書・P/L)を作成する「簿記(ぼき。複式簿記)」は、現代経済を理解する上で欠かすことのできないスキルと言えます。
そんな簿記システムを日本に導入したのも「実業界の父」として活躍した渋沢栄一(しぶさわ えいいち)なのですが、最初から上手く行ったわけではなかったようです。
「今までそれなりにやって来たんだから、前のままで良かったじゃんか……」
そんな不満の声もあったようで、今回は渋沢栄一のちょっとしたエピソードを紹介したいと思います。
ミスを指摘された部下が逆ギレ時は明治5年(1872年)、大蔵省の総務局長を務めていた渋沢栄一(当時33歳)はヨーロッパ式の簿記システムを採用、伝票を使った金銭の出納管理を行うことにしました。