北条義時の妹、そして妻となる”二人の阿波局”の存在ー大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (4/6ページ)

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公暁に暗殺される実朝。月岡芳年「美談武者八景 鶴岡の暮雪」

(※『吾妻鏡』では謀叛としていますが、逆に義時らが討手を差し向けたため、やむなく自衛の兵を挙げたとする説もあります)

この時、阿波局は我が子・時元の粛清について抗議も弁護もしていませんが、政子や義時らが朝廷から親王殿下を将軍に迎えるべく要請していたことを知っていたので、そもそも我が子が将軍になることを考えて(望んで)はいなかったのでしょう。

嘉禄3年(1227年)
時元を喪って以降はこれと言った活動も見られず、そのまま亡くなります。この時、甥の泰時が30日間の喪に服したことを最後に、歴史の表舞台から姿を消したのでした。

北条義時の妻・2人目の阿波局

先ほども紹介した通り北条泰時の母に当たる人物ですが、その出自は不明。御家人・加地信実(かじ のぶざね)の娘に阿波局がおり、彼女ではないかと見られています。

北条義時にとって最初の妻と見られますが、身分が低かったためか正室としては扱われず、後に比企氏の美女・姫の前(ひめのまえ)に一目ぼれした義時は、そっちを正室に迎えました。

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