父の期待が重すぎた?明治時代、会津藩再興を託された松平容大のエピソード (5/5ページ)

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松平容大の騎兵大尉時代。Wikipediaより

【参考:陸軍の階級制度】
二等兵⇒一等兵⇒上等兵⇒兵長(ここまでが兵)⇒伍長⇒軍曹⇒曹長(ここまでが下士官)⇒准尉⇒少尉⇒中尉⇒大尉(以下略)

その後、どういう理由によってかは不明ながら生活に困ったらしく、明治35年(1902年)に明治天皇から現金を支給されたそうですが、もしかしたら、不良時代の悪癖が抜けておらず、つい浪費してしまったのかも知れません。

最後は明治39年(1906年)、貴族院議員に選ばれて亡くなる明治43年(1910年)までの4年間、在任したのでした。享年41歳。

死後は存誠霊神(そんせいれいじん)の神号で福島県会津若松市の院内御廟(いんないごびょう。歴代会津藩主の霊廟)に祀られ、今も会津の民を見守っています。

※参考文献:
葛西富夫『会津・斗南藩史』東洋書院、1992年12月
小桧山六郎ら編『幕末・会津藩士銘々伝』新人物往来社、2004年6月
綱淵謙錠 編『松平容保のすべて』新人物往来社、1984年11月
星亮一『斗南藩-「朝敵」会津藩士たちの苦難と再起』中公新書、2018年7月

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