もうおしまいだ…没落士族の悲哀を描いた明治時代の歌舞伎「水天宮利生深川」を紹介 (5/6ページ)

Japaaan

自分の悲劇を繰り返させまいと、子供の守り神になった安徳天皇。Wikipediaより

「……方々、ご迷惑をかけて相済みませぬ」

「いいって事よ。困った時はお互い様じゃねぇか」

「せっかく命が助かったんだ。水天宮様に感謝するんだな」

その後、お雪の親孝行エピソード(母の死を悲しんで盲目となり、父を助けるために物乞いに出ていること)が新聞記事となって、各地の篤志家から多額の義援金が集まります。

「あぁ、これも水天宮様の深きお恵み……」

そのおカネでお雪の目を治す妙薬を買い、父娘仲良く力を合わせて生活を建て直したのでした。

めでたし、めでたし。

終わりに

……以上が「水天宮利生深川」の筋書きで、このアイディアは作者の河竹黙阿弥(かわたけ もくあみ)が、筆の行商にやって来た没落士族の哀れな姿と、自宅の裏に住んでいた母親が発狂して自分の赤ん坊を川に投げ込んだ事件をヒントにしたそうです。

初演は明治18年(1885年)、劇場近くに水天宮(中央区日本橋蛎殻町)があったため、それに当て込んだと言われています。

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