自己のあり方に悩む若者から絶大な人気を得た思想家・綱島梁川 (1/5ページ)

心に残る家族葬

自己のあり方に悩む若者から絶大な人気を得た思想家・綱島梁川

綱島梁川(つなしまりょうせん 1873〜1907)は現代では忘れられた思想家であるが、明治から昭和にかけての思想界を席巻した思想家である。特に「煩悶青年」と呼ばれ、自己のあり方に悩む若者たちから絶大な支持を集めた。彼らは梁川の神秘体験に裏付けされた思想・評論に宗教的熱狂を呼び起こされた。彼には講壇哲学者にはない説得力があった。綱島梁川は「神を見た男」なのである。

■綱島梁川自らが「妄信時代」とよんでいた学生時代

綱島梁川は1873年(明治6年)岡山県上房郡有漢村(原・高梨市有漢町)に生を受けた。1890年キリスト教の洗礼を受け信仰生活に入る。その後、早稲田大学の前身である東京専門学校に進学。坪内逍遥(1859〜1935)、大西祝(1864〜1900)らに哲学・倫理学を学んだ。信仰への疑問を持たなかった無垢な信仰者・梁川は精神が成熟したか都市の空気に酔ったか、進化論やヒューム、カントらの西洋哲学に触れ、信仰心は大きく揺らぎ、哲学や倫理、道徳によって宗教は乗り越えられると確信するに至る。後年、梁川は地元で信仰に生きていた時代の自分を「妄信時代」と呼んでいるほどである。

■結核を発病し35歳で亡くなった綱島梁川

1896年喀血。結核を発病し、1900年以降35年の短い命尽きるまで床に伏すことになる。否、梁川の人生はまさにここから始まったといえる。哲学、倫理・道徳によって宗教は乗り越えられるとして信心から遠ざかっていた梁川は、病の苦しみ、死の恐怖の前に、再び神の下に回帰した。理性や知性は死の恐怖の前には無力である。観念的な哲学思想に酔えるのも健康な身体あればこそである。梁川は、理性の冷静な抽象的な神は宗教的な神にはなり得ないと言っている。死の恐怖を「死といふ大魔王」「自然の大破壊力」などと表現していた梁川は深刻なスピリチュアル・ペインに陥っていた。梁川は神の存在と魂の不死を確信したかった。病床にて死の影と共に聖書をめくり、神との触れあいを望む日々。そして決定的な瞬間が訪れた。

■「神を見た」と話した綱島梁川

1904年(明治37)この年、梁川は3度に渡る「見神」を体験した。神を見たというのである。1905年(明治38)これらの体験を「予が見神の実録」として発表。

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