自己のあり方に悩む若者から絶大な人気を得た思想家・綱島梁川 (3/5ページ)

心に残る家族葬

梁川が個我を重視したのは体験がその後の人生に何をもたらすか、体験を基づきどのような思想に展開するかに重きを置いた故であった。梁川が当時の若者に支持を集めたのはその理性的な姿勢が大きいといえる。

■自分がどうあるべきか悩む若者から支持を得た綱島梁川

梁川は当時の「煩悶青年」と呼ばれる若者たちに絶大な支持を受けた。1900年前後、生きる価値とはなんなのか、人生に意味などないのではないかと、人生観が揺さぶられていた若者が相次いでいた。一高生・藤村操(1886〜1903)は「万有の真相は一言に悉くす。 曰く『不可解』」と「巌頭之感」と題した辞世を詠み華厳の滝に身を投げた。藤村の自死は一躍「煩悶青年」の存在を世に知らしめた。余談だが「綱島梁川全集」を編んだ安倍能成(1883〜1966)の妻は藤村の妹である。

■煩悶とは

煩悶には条件がある。1900年前後の日本は学制も完備され「学生」が大量に生まれる下地ができていた。学生たちは煩悶するだけの、煩悶ができるだけの知識、教養、時間、経済的余裕があったのだ。中でも藤村は現在の開成高校である一高生、エリート候補生であった。贅沢病といえなくもない。生きるために必死な状況で煩悶する暇はないからだ。徳富蘇峰(1863〜1957)などは「目の前の仕事に励め」と叱咤している。しかしそのようなお説教は無意味であるほど彼らも梁川と同様、スピリチュアル・ペインに陥っていたといえる。

スピリチュアル・ペインは終末期患者などに限ったことではない。現代でも生きる意味、自己の存在理由を見失い、生きることが苦痛だと訴える若者は多い。そして煩悶する若者たちは梁川を読んだ。梁川は死の影に怯え、今なお病の床にいながら見神体験を経てスピリチュアル・ペインを超越し、絶対的な個我を確立していた。梁川の著書には生死を超越した体験が神憑り的な言動ではなく、哲学的思索で表現されていた。悩める知的エリートである煩悶青年たちは藤村がそうであったように哲学的思弁を好む。しかしスピリチュアル・ペインを思弁のみで克服するのは難しい。だからといって前後不覚になった神憑りには知性が拒否をする。梁川はスピリチュアル・ペインによる煩悶から救済できる宗教的求心力と、煩悶青年を納得させるだけの哲学的思弁を兼ね備えていた。

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