品川駅の高山稲荷神社にある石灯籠のおしゃもじさまとキリシタン禁教 (2/5ページ)
この石神社は、時期はわからないものの、高山稲荷神社に合祀されたという。
■しゃもじはそもそも当時どんな扱いだったか
そもそも、あまりにも身近にあるがゆえに、「信仰」とは程遠く考えられる「しゃもじ」すなわち「杓子(しゃくし)」は、民の信仰対象となりうるものなのか。昔の日本では、例えば農村社会において五穀豊穣を祈るため、地域の山の神舞の採物(とりもの。神事や神楽の折に、巫女や舞い手が手に持つもの)にしたり、疫病を防ぐための呪具としても用いられることもあった。また、核家族化以前の、親子三代同居が主流であった家庭においては、食物を盛り分ける行為は、主婦の重要な仕事であった。そのため、「杓子」そのものが主婦権のシンボルだった。それゆえ、年老いた姑が嫁へ家事一切を「委譲」することを、「杓子渡し」「へら渡し」などと称したりもした。
■隠れキリシタンはしゃもじをマリアやキリストに見立てた
高山稲荷神社の「おしゃもじさま」は上記の日本古来の伝統的な「杓子」観によって「おしゃもじさま」と名づけられたというよりも、隠れキリシタン信仰においては、西洋におけるようなイエス・キリストや聖母マリア、そして天使や聖人の像を象ることは、隠しておかねばならない信仰を明らかにすることになる。それゆえ信徒たちはその像を、日本古来の仏像や神像に模して、心のなかで父なる神、イエス・キリスト、聖霊に祈りを捧げていた。しかしそれが経年劣化などで摩耗してしまい、一見、「しゃもじ」に見えることから「おしゃもじさま」になっているのだろう。
■江戸期におけるキリシタン禁教が与えた影響
そして「お稲荷様」を祀っている高山稲荷神社に限ったことではないのだが、江戸期に日本の宗教環境が大きく変貌したことも、「おしゃもじさま」が高山稲荷神社に祀られていることの大きな要因だと考えられる。
それは言うまでもなく、キリシタン禁教だ。この禁制によって、宣教師や信徒らの「処刑」ばかりではなく、17世紀前半の寛永年間(1624〜1645)までには、寺社奉行の設置、更には武家のみならず、一般庶民に至るまで、個々の家々が葬祭にかかわる檀那寺を持たねばならないという、寺請制度が定められた。