品川駅の高山稲荷神社にある石灯籠のおしゃもじさまとキリシタン禁教 (1/5ページ)

心に残る家族葬

品川駅の高山稲荷神社にある石灯籠のおしゃもじさまとキリシタン禁教

JR/京浜急行品川駅の高輪口を出ると、国道15号、いわゆる第一京浜が広がっている。信号を渡り、かつて京浜ホテルが建っていた道を左に進むと、老舗洋食レストラン・つばめグリルの手前に、小さな神社がある。この高山稲荷神社は昭和6(1931)年の造営で、「高山」という名前通り、もともとは現在地よりも奥の台地側に所在したという。しかし第一京浜の拡張に伴い、道路沿いのこの場所に移されたという。高輪の地はいわゆるお屋敷町であったことから、造営の寄付者の名前には、毛利家・森村家・岩崎家などの名家が連なっている。

■おしゃもじさまとは


高山稲荷神社の鳥居をくぐった左手に、「おしゃもじさま」という、ごはんをよそう、木または竹製の、或いはプラスチック製のしゃもじか、ゴムべらに似たものが浮き彫りになった、高さ55cm、幅26cmの小さな石碑を祀った祠がある。

これは一説には、キリシタンがつくった石灯籠で、1623(元和9)年に札の辻(ふだのつじ、現・港区三田3丁目付近)で処刑されたという外国人宣教師、または、1638(寛永15)年にも同地並びに高輪海岸沿いで行われた処刑によって亡くなった信徒らを供養するために建立されていたもの。または、現在の品川駅港南口側は、今日では埋め立てや開発が進み、跡形はすっかりなくなってしまっているが、昭和初期ぐらいまでは海水浴や潮干狩りが楽しめる場所で、初代・歌川広重(1797〜1858)『行烈高輪之図』(1840年前後)に描かれたような、大きな海岸線が広がっていた。それゆえ「おしゃもじさま」は、海から出土したとも言われている。

そして「おしゃもじさま」は、現在の高輪のどこだったのかは不明だが、天保年間(1831〜1845)に、斎藤月岑(1804〜1878)の『江戸名所図会』(天保年間(1804〜1878)成立)に記載された、縁結びに御利益があるとされ、多くの人々が詣でたという「石(しゃく)神社」と深い関連がある可能性も指摘されている。

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