卑弥呼の墓についた「赤面の名称」/今から始める古墳入門(2) (3/4ページ)
教科書的には、聖徳太子や天武天皇の時代は飛鳥時代とか白鳳時代と言ったりしますが、それを全部含めて古墳時代なのです」
日本で最初に出現した巨大な前方後円墳と言われるのが「箸墓古墳」だ。ヤマト王権の歴代大王の初代の墓とみられていたが、一方で昔から「箸墓古墳」は、あの邪馬台国の卑弥呼の墓ではないかという説が存在している。ちなみに「箸墓」の名は記紀などに伝わる「倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)」の陰部に箸が突き刺さり、絶命したことが由来と伝わる。なんとも赤面する名称だ。
邪馬台国がどこにあったのか、もともと、「日本書紀」が卑弥呼を神功皇后(じんぐうこうごう)としたことから、邪馬台国は大和の朝廷と考えられていたが、江戸時代に新井白石と本居宣長が九州説を唱えて以来、様々な地域が論争に加わり、現代に至るまでかまびすしく議論が戦わされているのである。
「箸墓古墳の濠から出土した土器に付着していた炭化物を放射性炭素を用いた調査をしたところ、ちょうど邪馬台国の卑弥呼の時代とぴったりと合ったというので、『箸墓古墳』は、やはり卑弥呼の墓ではないかという説が有力になっています。3世紀あたりに始まる当時国内最大の集落跡と言われる纒向遺跡は、邪馬台国=畿内説を裏付ける有力な遺跡とも言われています。