奈良の大仏の鋳造と繋がりがあると言われている香春岳の魅力と異様さ (4/5ページ)

心に残る家族葬

翌朝、最澄が香春岳を眺めたところ、右脇は崩れた岩石が重なって草木が1本もなく、昨夜の夢の僧の左半身のようだった。そこで最澄は法華院を建て、香春神のために法華経を講じることにした。しばらくすると、山の崩れていた場所に草木が生え、年を追うごとに茂ってきた。村人たちはその様子にとても驚き、喜んだという。当時の法華院は廃れることなく、今日では、地域の人々に梅の名所として親しまれている神宮院という名で存続している。

■香春岳のいま


五木寛之は「異様」に削り取られた一ノ岳のことを、「かつて筑豊に存在したいまはなき幻」の名山として、伝説のように語られる日がやってくるのかもしれない」と書き記していたが、とりあえず2021年現在の香春岳の一の岳は、完全に姿を消してしまってはいない。

純度の高い化学成分を持ち、炭酸カルシウムの含有量は98%であるにもかかわらず、マグネシア含有量が極めて少ない、良質の石灰岩を含む地質だったがゆえに、昭和9(1934)年に浅野セメント香春工場が完成し、北九州工業地帯に石灰が送られるようになってから、頭部をみにくく削り取られ続けた現状を、最澄に夢枕で訴えた、半身が石だった香春神は、昭和〜平成〜令和の今に至るまで、一体、どのように捉え続けてきたのだろうか。誰かの夢枕に立ち続けていたのかもしれないが、最澄のように訴えを受けとめ、読経を続けてくれることはなく、疲れていたのか…変な夢を見た…と、無視され続けていたのかもしれない。

■最後に…


将来、自治体や市民団体の手によって、地域再生や観光振興、そして自然破壊への反省、地球環境への配慮を考えさせる「場所」として、大量の盛り土を一ノ岳に運び、植林し、かつての一の岳を再現・復興しようとする試みがなされる可能性もある。

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