育て方を間違えた?北条政子が激怒した源頼家「愛妾略奪事件」【鎌倉殿の13人】 (1/4ページ)
源頼朝(みなもとの よりとも)公の亡き後を継ぎ、鎌倉幕府の第2代将軍となった源頼家(みなもとの よりいえ)。
偉大なる父のカリスマを乗り越えようと改革の意欲に満ちた若君でしたが、従来の慣習を無視した独裁政治は盛大に空回りしてしまいます。
その結果として有力御家人13名(鎌倉殿の13人)による合議制がしかれてしまい、覇気あふれる頼家は自分の権力を抑えつけられた(※)ことに我慢がなりません。
(※)案件ごとに数名で合議の上、最終的な裁可を鎌倉殿に仰ぐ形式をとっており、完全に蚊帳の外におかれた訳ではないものの、頼家には不満だったことでしょう。
頼家は鎌倉殿の権力を誇示するべく自分の側近に特権を与えて好き勝手に狼藉させるなど暴君ぶりを発揮していくのですが、その極めつけが「愛妾(あいしょう)略奪事件」。
あまりの事態に母・北条政子(ほうじょう まさこ)を激怒させた頼家の乱暴狼藉ぶりを、今回は紹介したいと思います。