縄文時代はなんと一万年以上もあった!(最終回)晩期・人々の精神性は高く〜縄文時代の終焉 (7/7ページ)

Japaaan


気温が低下するという気候変動に伴い、人々は生きることに不安や危機感を感じていたのは間違いないと思われます。

そのため人間以外のものになってまで、自然の再生や豊作・豊漁、祖先崇拝などをなにかに必死に祈っていたのではないでしょうか。

ウッドサークルとは何なのか、時計説や灯台説、儀式祭礼場など様々な説がありますが、未だに決定的な答えはでていません。

日本列島の南北に延びる地形によって、各地でその地に必然のさまざまな文化が生まれました。

つまり、“狩猟・漁労・採集”を生業としていた縄文時代の人々は、自然の恵みを頂き、自然の変化に影響を受けて生活をせざるを得ませんでした。

ところが縄文時代・晩期も終わる頃から稲作文化は日本全土に広がり、“狩猟・漁労・採集”による生活から、新しく伝わってきた“稲作農業”を主とする生業へと変化していったのです。

つまり日本に“稲作農業”という今までにない新しいものが生まれて、時代は変わって弥生時代へと突入していくことになったのです。

まとめ

縄文時代が何故10,000年以上も続いたのかという疑問に対する答えは、人間同士が争うということが無かったからでしょう。

何故かというと、人々は人間が大自然を前にして一人で生きるには弱い存在だということを自覚していたからだと思われます。だからこそ“抜歯”などという危険な行為を犯してまで人々が結束することを望んだのでしょう。

そのため人々は大自然を相手にして食料を得るために、集団となってムラを作ることを選びました。

しかし気候の変化や、天災、または病気など、自分たちの力ではどうにもならないことに対して、人間以外のなにか大きな物が自分たちを支配していると考えたのではないでしょうか。

だから祈ることや何かの儀式を行うことによって、自分たちの身を守ろうとしていました。そんな人々には、他の人々と争うという発想が無かったのではないでしょうか。

集団生活において、リーダーとなる者や強い者、弱い者などは存在したでしょうが、それでも皆その日一日を生き延びることが精一杯だったというのが、縄文時代が長く続いた答えだと筆者は考えます。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

(完)

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「縄文時代はなんと一万年以上もあった!(最終回)晩期・人々の精神性は高く〜縄文時代の終焉」のページです。デイリーニュースオンラインは、銛漁菜畑遺跡稲作文化の始まり環状木柱列板付遺跡カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る