京都の清水寺は征夷大将軍・坂上田村麻呂が創建に深く関わった寺院だった【前編】 (2/7ページ)
後に征夷大将軍は、幕府を開く武士の棟梁に与えられる称号になります。しかし、征夷大将軍の歴史を振り返ると、それは奈良時代から平安時代初めに、中央政権である朝廷が行った蝦夷征伐に端を発するのです。
第50代・桓武天皇。平安京造営と蝦夷征伐を二大スローガンとして政治改革を進めた。(写真:Wikipedia)
792年、桓武天皇は平安京(京都)に都を遷しました。遷都の理由は、教科書などによりますと強大化した奈良の仏教勢力と決別するためと書かれています。しかし、最も大きな目的は、停滞する律令政治の立て直しにありました。
奈良時代の終わりには、大化の改新以来進めてきた律令制の根本である公地公民制と班田収授法はすでに実態をなさなくなっており、朝廷は徐々に財政難に陥っていたのです。
そこで、朝廷が目を付けたのが、未だ中央政権の版図に含まれていない東北地方でした。東北を支配することは、新たな領土を手に入れることになります。さらに、東北には朝廷にとって大変魅力的なものがありました。
それは、金でした。奈良時代から東北では金脈が発見されており、東大寺大仏の身体を覆うために使われました。