京都の清水寺は征夷大将軍・坂上田村麻呂が創建に深く関わった寺院だった【前編】 (7/7ページ)
平安京に戻った田村麻呂は、805年に坂上氏としては初めて参議に昇進し、公卿に列します。桓武天皇との関係も良好で、娘の春子を妃として天皇家と外戚関係を結び、桓武天皇が崩御した後も、平城・嵯峨朝で昇進を重ね、正三位大納言に昇り、811年に54歳で亡くなりました。
第52代・嵯峨天皇。父桓武に続き田村麻呂を信任。その死後、京都の守護神に定めた。(写真:Wikipedia)
その死に際し、嵯峨天皇は1日政務をとらずに喪に服します。そして、田村麻呂に甲冑を纏わせた上で埋葬し、以下のように命じました。
「もし国家に非常時が起これば、田村麻呂の墳墓が鼓を打ち、雷が鳴るように知らせてくれるだろう。今後、将軍の地位にある者が出征する際には、先ずは田村麻呂の墓に詣で、その加護を祈ることとする」
優れた武人として、光仁・桓武・平城・嵯峨の4帝に仕えた坂上田村麻呂は、死して平安京の守護神となったのでした。
【前編】はここまでとします。【後編】では、坂上田村麻呂が清水寺の創建に深く関わった経緯とその思いを述べていきます。
◎参考文献
『京都ぶらり歴史探訪ウォーキング』メイツユニバーサルコンテンツ・京あゆみ研究会著(執筆・編集・撮影:高野晃彰)
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