源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その4】 (3/9ページ)

Japaaan

厨川の柵跡。小高い丘の上に祈願所の天昌寺が建つ。(写真:T.TAKANO)

源義家の活躍で厨川柵が陥落

厨川の柵は、約800m離れた位置にある嫗戸柵と連携して防御を固める城柵です。要所に高い櫓を設け、周囲に広く深い堀をめぐらし堀底には多数の白刃を埋め込んで敵の侵入を防ぐという堅城でした。

9月15日、国府軍は厨川の柵を包囲、総攻撃を開始します。激しい矢戦が交わされる中、攻めかかる国府軍に対し、城中から石や熱湯が浴びせられます。一進一退の攻防は翌日も続きますが、17日になり、激しい風が城に向かって吹き始めました。

義家:天は我らに味方したぞ!この機を逃さず、城に火を放て!

源義家の命で放たれた火は烈風にあおがれ、みるみるうちに厨川の柵は猛火に包まれました。国府軍の手に落ちた厨川の柵では、貞任の妻をはじめとする安倍一族の女・子供たちが燃え盛る城中で次々と自尽して果てたのです。

貞任:無念だが、ここにいたっては詮方なし。嫗戸柵に移り、最後の一戦いを行おうぞ!

貞任ら安倍一族の男たちと経清は厨川の柵を捨て、最後の抵抗を行うため、東方の嫗戸柵に移りました。

「源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その4】」のページです。デイリーニュースオンラインは、藤原経清源頼義平安時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る