源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その4】 (7/9ページ)
(写真:Wikipedia)
「前九年の役」の後日談
進軍する安倍宗任。「前九年の役」後、九州に配流となった。(写真:『前九年合戦絵詞』より)
源頼義・清原武則と安倍一族のその後「前九年の役」は、源頼義率いる国府軍の勝利に終わりました。頼義は、藤原経清と安倍貞任らの首を掲げ、都に凱旋します。朝廷は頼義を正四位下伊予守に任じ、その労に応えました。義家も従五位下となり貴族の仲間入りを果たし、頼義を援けた清原武則は従五位上に進み、鎮守府将軍に任ぜられたのです。
ただ、やはり朝廷は「前九年の役」を頼義の私戦とみなしていたのでしょうか、頼義麾下の部将たちにはほとんど恩賞を与えませんでした。頼義は私財を投じてこれに当てたとされます。このことが頼義と麾下の部将たちを強く結びつけ、その後の源氏の勢力強化に繋がったと考えられます。
さらに後述する「後三年の役」の際も、朝廷は義家に恩賞を与えず、義家が父同様には配下の部将たちの恩賞を私財でまかないました。頼義の子孫頼朝が挙兵した時、多くの坂東武者が頼朝に味方した礎は、頼義・義家父子の時に築かれたのです。
一方、安倍氏は惣領の貞任が討死したものの、弟の宗任は死罪を逃れ九州に配流となりました。