源頼朝の先祖と死闘を演じた藤原経清(奥州藤原氏祖)の壮絶な生涯【その4】 (8/9ページ)
その子孫は脈々と続き、元首相の安倍晋三氏はその末裔とされます。
藤原経清の活躍がもたらしたもの頼義により悲惨な死を遂げた藤原経清ですが、その存在と活躍は後の日本史に大きな影響を与えました。経清の妻・有加一乃末陪(ありかいちのまえ)は、厨川の柵落城の時、安倍一族と運命を共にせず、経清との子清衡を連れて落ち延びます。
彼女は敵方である清原武則の子武貞と再婚、清衡は武貞の養子となりました。その後、清原氏の内紛に源義家が介入した「後三年の役」が起こると、義家は清衡を援けて戦います。義家は父頼義が憎しみのあまり、鋸引きで斬殺した経清の子に援助を惜しみませんでした。
「後三年の役」の後、清衡は父経清の藤原姓に戻り、奥州藤原氏の初代となります。そして、三代秀衡が源義経を援け、四代泰衡がそれを口実に頼朝に滅ぼされます。藤原氏と源氏は半世紀近くにわたり、因果応報としかいいようのない歴史を繰り広げるのです。
藤原経清は、歴史の教科書にも登場しません。でも、経清が安倍氏に味方して「前九年の役」で活躍しなければ奥州藤原氏は出現せず、義経の活躍や頼朝の鎌倉幕府創設もなかったかもしれないのです。それほど、経清は後世に大きな影響力を与えたのです。