まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【前編】 (5/10ページ)

Japaaan

『日本書紀』に記された斉明天皇陵

 復元された牽牛子塚古墳 。八角形の石のピラミッドを彷彿させる外観に圧倒される。(写真:T.TAKANO)

斉明天皇は、出征先の筑紫で661年に崩御します。その後、女帝の遺体は飛鳥川原宮に戻り、約6年にわたる殯(もがり)を経て、667年に埋葬されました。

『日本書紀』(天智紀六年の条)によると

「天豊財重日足姫天皇(あまとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)と間人皇女(はしひとのひめみこ)とを小市岡上陵(をちのをかのうへのみささぎ)に合(あわ)せ葬(かく)せり。是の日に、皇孫(みまご)大田皇女(おほたのひめみこ)を、陵の前の墓に葬(かく)す」

との記述がみえます。

天豊財重日足姫天皇は、斉明帝のことです。間人皇女は、女帝の娘中大兄皇子の妹、第35代孝徳天皇の皇后で665年に死去。大田皇女は女帝の孫(父は中大兄皇子)で、大海人皇子妃。後に持統天皇(大田皇女の同母妹)の命で、非業の死を遂げる大津皇子の母にあたります。

『日本書紀』からは斉明天皇の御陵は、女帝と間人皇女の合葬墓であり、隣接する大田皇女の墓を従えた天皇・皇女の女性三代が眠る古墳であるということが読み取れるのです。

「まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【前編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、牽牛子塚古墳斉明天皇明日香村飛鳥時代古墳カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る