まるで白亜のピラミッドのように復元!斉明天皇の真陵・牽牛子塚古墳(けんごしづかこふん)ってどんな古墳?【前編】 (2/10ページ)
第35代天皇として夫の舒明天皇(第34代)の跡を継ぎ、642年に第35代皇極天皇として即位しました。そして、第36代孝徳天皇の後に重祚して655年に再び皇位に就き、第37代斉明天皇となりました。
女帝は、敏達天皇(第30代)の孫・茅渟王(ちぬのみこ)を父として生まれ、舒明天皇の皇后となり、中大兄皇子(天智天皇)・大海人皇子(天武天皇)などの母としても知られます。
彼女の二度の治世は、日本が律令国家への道を歩む激動の時代にあたります。皇極時には、中大兄皇子が蘇我氏を滅ぼした乙巳の変(大化の改新)が起き、斉明時には、百済を救援するために唐・新羅の連合軍と朝鮮半島で戦った白村江の戦いが起きました。
特に白村江の戦いの際には、老齢にも関わらず自ら大軍を率いて出征し、前線基地の筑紫朝倉宮で、その波乱に富んだ67年の生涯を閉じています。
645年に起きた乙巳の変で、暗殺される蘇我入鹿。左奥の女性が斉明(皇極)天皇。(写真:Wikipedia)
女帝はその治世で、大化の改新事業の実施、蝦夷征伐、飛鳥板葺宮など宮都の造営、飛鳥京における大規模な土木工事など、様々な事業を行いました。
飛鳥時代の人物というと、聖徳太子や中大兄皇子、中臣鎌足らに脚光が集まりますが、斉明女帝は彼らに引けを取らない、日本古代史上例を見ない卓越した手腕を振るった天皇であったのです。