島原の乱では幕府の総大将!江戸初期の政治家・松平信綱の活躍と実績をたどる【後編】 (2/6ページ)
あれは人間と申すものではない」と評しています。
ちなみにこの酒井忠勝は、現在の山形県内にあった庄内藩(藤沢周平の作品に出てくる海坂藩のモデル)を統治して暴虐を行った人物です。彼が亡くなった時、信綱は「死んでよかった」ともとれる発言をしています。
また阿部忠秋も「何事にもよらず信綱が言うことは速く、自分が2つ3つのうちいずれにしようかと決断しかねているうち、信綱の申すことは料簡のうちにある」と述べています。
さて、信綱が活躍したのは江戸時代になってからで、もはや戦国時代とは異なり「戦乱」と呼ぶべきものは存在しない世の中でした。しかし信綱は「戦」と無縁だったわけではなく、寛永14年(1637年)に発生した島原の乱では幕府軍の総大将に任命されました。
島原の乱とは皆さんご存じの通り、島原藩を治めていた松倉重信・重政親子による悪政に耐えかねて、領民が起こした大規模な反乱です。
集団処刑、熱湯漬け拷問…そして島原の乱、勃発。