島原の乱では幕府の総大将!江戸初期の政治家・松平信綱の活躍と実績をたどる【後編】 (4/6ページ)

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その結果、反乱勢は兵糧が尽きて疲弊。改めて幕府軍は総攻撃を実施し、鎮圧に成功しました。

天草キリシタン館「殉教戦千人塚」

島原の乱を平定した後、信綱はキリシタンの取締りを強化します。ポルトガル人を追放し、オランダ人を長崎の出島に隔離するなどして、いわゆる「鎖国」体制を完成させました。

これらの功績が認められ、44歳となる寛永16年(1639)に6万石に加増され、武蔵国川越藩に移封(異動・転任)となります。

川越藩に移った信綱は、城下町を整備して「小江戸」と呼ばれるまでに発展させました。また、川越と江戸を結ぶ新河岸川玉川上水の整備などを進めていきました。

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