島原の乱では幕府の総大将!江戸初期の政治家・松平信綱の活躍と実績をたどる【後編】 (3/6ページ)

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日本におけるキリシタン弾圧の歴史

おろかで無能な藩主。非人道的な政策で島原の乱を引き起こした暗君「松倉親子」の愚行【前編】

幕府軍は、これに思わぬ大苦戦を強いられました。

インフラ整備や治安維持でも活躍

当初、信綱は戸田氏鉄と共に、反乱鎮圧後の仕置・戦後処理のために派遣されていました。しかし、幕府軍の総大将だった板倉重昌が戦死したため、代わって総大将に任命されました。信綱42歳の時のことです。

島原陣図屏風

総大将となった信綱は、オランダ船のデ・ライブ号に援護射撃を要請。これとあわせて攻撃を仕掛けますが、反乱勢の抵抗も激しく、膠着状態に陥りました。

そこで立花宗茂や水野勝成など、戦陣経験がある老将と相談して兵糧攻めに持ち込みます。

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