島原の乱では幕府の総大将!江戸初期の政治家・松平信綱の活躍と実績をたどる【後編】 (1/6ページ)

Japaaan

島原の乱では幕府の総大将!江戸初期の政治家・松平信綱の活躍と実績をたどる【後編】

【前編】では、天才政治家・松平信綱が大名になるまでの足跡を辿りました。

わずか6歳にして天才!江戸初期の政治家・松平信綱の活躍と実績をたどる【前編】

【後編】では、その類い稀な実績の数々を追っていきます。

「あれは人間ではない」

38歳となった寛永10年(1633年)には阿部忠秋堀田正盛らと共に老中に任命され、翌年には「老中職務定則」「若年寄職務定則」を制定、政務に辣腕を振るうようになります。

掘田正盛(Wikipediaより)

将軍家の信頼も篤く、春日局柳生但馬守宗矩と、そうそうたる顔ぶれと並んで、三代将軍・家光を支えます。

この頃になると、信綱の知恵者ぶりは幕閣内でも評判となり、例えば家光から信頼を置かれていた酒井忠勝「信綱とは決して知恵比べをしてはならない。

「島原の乱では幕府の総大将!江戸初期の政治家・松平信綱の活躍と実績をたどる【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、松平信綱島原の乱江戸時代政治カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧