両津勘吉も訪れた「船橋ヘルスセンター」跡地に残る「昭和の痕跡」 撤去の危機を2度乗り越えた「一本松」が伝える思い出【昭和の日特集】 (4/4ページ)
そこで私が三井不動産の方に松の根が張っているのであまり広くしない方が良いんじゃないかと話しました。これも直接関係しているのかわかりませんが、通路は松の近くまでは来なかったんです」(丸山さん)
松のピンチに動いてきた丸山さんだが、自身が松を救ったとは考えていないという。その行動の背景に、船橋ヘルスセンターの重要人物の存在も見えてきた。
「私はヘルスセンターの2代目の社長だった丹沢章浩さん(故人)に非常によくしていただきました。その丹沢さんからヘルスセンターがなくなるときに、松が写った写真の複製を多くいただいたんです。理由は今でもわからないのですが、それだけ松が大切だったということなのかもしれませんね」(丸山さん)

船橋ヘルスセンターのシンボルだった松。それがどういう存在なのか、取材の最後に丸山さんはこう話した。
「あの松は全部を見ている生き証人です。あの一本松が、船橋ヘルスセンターの状況を残している。当時の人は今のららぽーとを見ても、さっぱりわからないけど、あの松の木を見れば全部思い出すというんです」
松の木は現在も業者の手を入れながら、大切にされているという。そこに隣接する記念碑とともに昭和の人々の「楽しい思い出」をこれからもずっと伝え続けてくれるだろう。