上杉謙信の「敵に塩を送る」は商戦でも美談でもなかった?そこには今川氏真の策略が! (2/4ページ)
さて、この「敵に塩を送る」という故事、一般的には次のような内容で知られています。
武田信玄(たけだしんげん)は、桶狭間の戦いによって弱体化した今川家との同盟を破棄し、駿河への侵攻を企んでいました。
それを察知した今川氏真(いまがわうじざね)が、妻の父である北条氏康(ほうじょううじやす)と協力して取った対抗策が、塩の流通を止める「塩留め」でした。
領内に海を持たない武田家は、同盟国の今川・北条から塩を購入していたため、武田領の甲斐・信濃・上野の領民たちは困窮します。
「味方に欲しい大将よ」これに対して救いの手を差しのべたのが、当時敵対していた上杉謙信でした。氏真は謙信にも協力を求めましたが、謙信は「正々堂々の戦ではなく卑怯な手段で領民をも苦しめるのは許しがたい」として、糸魚川から武田領へと塩を送り込んだと言われています。
この謙信の義侠心のある行為が、「敵に塩を送る」という美談と格言を生むことになりました。
しかし実際には、謙信は積極的に塩を贈呈・譲渡したわけではありません。
当時の史料によると、今川と北条が塩の輸出を禁止したのに対し、謙信は「私は塩留めには参加しない。だから、いくらでも越後から輸入するといい。決して高値にしないよう商人にも厳命する」と手紙を送ったそうです。