弔いを目的に作られるのは碑や神仏像だけでなく文学作品でも存在した (4/5ページ)

心に残る家族葬



■ロシアとウクライナについてもいつかきっと…

『太平記』に限らず、文学や映画・ドラマ、或いはアニメやゲームなど、いわゆる「歴史もの」の作品において、我々はある特定の英雄の活躍や武功に心踊らせたり、或いは彼/彼女が時代や運命に翻弄された結果、悲劇的に命を落としてしまったことに心を痛め、涙したりしながら、その世界観を楽しみ、味わってきた。しかし今年の2月24日に始まった、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってからずっと、日々刻々とその様子が報道されている現在においては、現実的な危機や恐怖を伴わない「過去の歴史ロマン」を高みの見物よろしく「楽しむ」「味わう」ことが「平和」「幸せ」なことだったと、痛感させられる。逆に、『平家物語』や『太平記』成立当時においては、戦いの中心人物である「大将」「英雄」が命を落とし、それが「物語」として語られるばかりでなく、さまざまな生き様や背景を有していた、多くの名もなき人々が国や地域を挙げての争いごとに巻き込まれ、理不尽な死を遂げていたことが「リアル」であったために、「弔い」のための文学作品も成立、存続していたのだろう。

依然として先が見えない今回の紛争は、今後ロシアやウクライナはもちろんのこと、世界全体に大いなる変転をもたらすものになることは間違いない。こうした状況を受け、『太平記』同様の「弔いのための文学」が、旧来の「紙媒体」なのか、または 何らかのデジタル媒体なのかは不明だが、有名無名を問わず、多彩な人々によって紡ぎ出され、後世に語り継がれていくものとなることを、心より期待したい。
「弔いを目的に作られるのは碑や神仏像だけでなく文学作品でも存在した」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る