「鎌倉殿の13人」北条と比企の対立、謀叛に利用される曽我兄弟の仇討ち…第22回「義時の生きる道」振り返り (5/8ページ)

Japaaan

しかし義実は源平合戦の序盤で第一線を退き(奥州征伐には従軍)、義澄は建久元年(1190年)の上洛に際して右兵衛尉の官職を授かった時、これを「若い者にやる気を出させよう」と三浦義村(演:山本耕史)に譲りました。

後から文句を垂れるくらいなら、いいカッコしなさんなと思ってしまいます。かつて敵対していた畠山重忠(演:中川大志)を赦すなど人格者として名高い義澄の口からつまらない不満を聞くのは、非常に残念でなりません。

ちなみに『吾妻鏡』だと義実は建久4年(1193年)8月24日に宿老の大庭平太景義(おおば へいたかげよし。大庭景親の兄)と共に出家。

そこには「特に理由はないが、年老いたため予ての念願を遂げるため(雖無殊所存。各依年齢之衰老。蒙御免。遂素懷畢云々)」とあります。

しかしあえて「特に理由はない」などと書いているのは不自然であり、実は富士の巻狩り(曽我兄弟の仇討ち)で何らかの策謀を企んでいたとも言われます。大河ドラマではその説を採ったのでしょう。

それにしても酔っ払ってくだを巻く常胤、いいカッコして後から文句を垂れる義澄、そして謀叛で晩節を穢してしまう義実……ドラマの演出としても、彼らに対するフォローもいただけると、ファンとしては嬉しいです。

曽我兄弟の仇討ち、時政は勧めていたけど……

かつて工藤祐経(演:坪倉由幸)に石を投げていた二人の少年、彼らは元服して曽我十郎祐成(演:田邊和也)、曽我五郎時致(演:田中俊介)と改名。

祐経に殺された父・河津祐泰(演:山口祥行)の仇討ちを打ち明けられ、大いに賛同していた時政とりく(演:宮沢りえ)でしたが、こういう場合ってどうなんでしょう。

父の仇討ち時代は親孝行として賞賛されたかも知れませんが、頼朝のお気に入りである祐経を許しなく討つのは悪手ではないでしょうか。

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