石神井川に架かる下頭橋という橋と側に建つ小さな六蔵祠を調べてみた (4/7ページ)
樽を運ぶ一団が川越街道を歩き出したところ、物陰に隠れていた半助がそれを見破り、岩公は首を斬られ、絶命してしまった。その後、半助が住んでいた掘立小屋を調べてみると、ほとんど手を付けた様子がない、串状に束ねられた古びた小銭からなる74両もの大金が、黒い麻袋の中にぎっしりと詰まっているのが見つかった。そしてその袋の上には、「下頭億万遍一罪消業(げとうおくまんべんいちざいしょうごう)」と、見事な書体で書いた紙もあった。つまり岩公は、億万回頭を下げることで、過去に犯したひとつの罪滅ぼしのための願掛けをしていたということがわかったのだ。そこで村人たちは代官所の許しを得て、川越街道の安全のため、橋を修繕した…。
ここで描かれた「岩公」は、吉川英治などの「時代小説」の愛読者が好む人物として描かれている。つまり、余計なおしゃべりや弁解をせず、普段のまじめで、人や地域に奉仕する生活態度はもちろんのこと、仇として追われる羽目となった過去の罪を悔い改め、日々それを、誰にも目立たないように償っているという、厳密には岩公は「侍」でも「江戸っ子」でもないが、節制、自戒の日々を送る「侍」や、つまらないひけらかしや見栄を張らず、さっぱりとした「江戸っ子」らしい風情を保っているのだ。
■六蔵の生き様
一方、子どもたちの道徳、そして差別や偏見をなくすことを目的とした、人権や倫理教育などへの活用を目指し、「語り」や「文章」でまとめられた「むかしばなし」における「六蔵」こと「六さん」は老人だが、やはり先の「岩公」同様、地域の人々が、わざわざ食べ物や着物を持ってくるほど愛されている。とはいえ、余計なことにお金を一切使わないので、「けちんぼ」とも認識されていた。そんな六さんは常々、「あぶねえ、あぶねえ、この橋じゃあぶねえ。大雨がふりゃ流される。流されりゃ、みんなが難儀する。あぶねえあぶねえ」と念仏のように呟いている。「あぶねえ」ならば、よそに移ればいいのだろうが、「ほかへひっこしてもおんなじこって…」と言いつつ、石神井川のたもとに愛着があったのか、ずっと「ここ」に住んでいた。やはりある時、ポックリと亡くなってしまった六さんだが、村人たちが弔いをしようと、掘っ建て小屋を訪れ、様子を調べた。すると筵(むしろ)の下から、大量の小銭が出てきた。