石神井川に架かる下頭橋という橋と側に建つ小さな六蔵祠を調べてみた (5/7ページ)
そして1枚の板切れに「はしかけるかね ろくぞう」と書いている。六さんの思いを受けて、「あぶねえ橋」は立派な橋に架け替えられたという。六さんの「過去」はわからないが、誰にも語らず、世のため、人のために頭を下げ、ある意味自己犠牲的かつ、清廉な態度や生き方を重ねながら、「はしかけるかね」を貯めていたのだ。
「六蔵」という、身寄りのないホームレス男性が石神井川のそばに実際に住んでいたかどうかは、今となっては不明である。仮にいたとして、長年貯めていたお金を、危険な橋の架け替えのために使うことになった、ということも、真実かどうか、判然としない。ただ「六蔵」の人物像や描かれ方によって、「同じ話」も全く異なった様相を呈する。比較文化学者のジャック・ザイプス(1937〜)が著した『おとぎ話の社会史 文明化の芸術から転覆の芸術へ』(1983年)によると、物語は「時代の変遷や地域の差異により移り変わるイデオロギーを取り込み、新たな解釈が加えられ、再生産される」と指摘する。そうしたことから、おとぎ話の「複製」では、「伝統的なものの見方、信条、行動を強化する類型的な思想やイメージの再生を」図る。そして「改訂版」であれば、「時代の価値観の変化に応じて、伝統的なイメージ、記号に対する読者の考えを変えようとする」という。
■最後に
4月8日、山口県北部にある阿武町(あぶちょう)で、新型コロナウィルス対策の臨時特別給付金が4630万円、ある若者1人に誤送金されるという事件が起こった。人のため、地域のために禁欲的に生きたとされる「六蔵」とは対照的なのだが、その青年は振り込まれた日から19日までに34回にわたって出金し、インターネットカジノでほとんど使い果たしてしまった。そこで「誤給付金と知りながら、別口座に移し替えて不法に利益を得た」として電子計算機使用詐欺の疑いで逮捕されてしまった。青年が六蔵における「危険な橋の架け替え」に充当する、何らかの社会正義を実現するために、そのお金をほとんど使い果たしていたとしたら、法律はともかく、社会的にはどう評価されたのだろうか。