女性スキャンダルで勘当!?北条義時と比奈の子供「北条朝時」の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】 (4/9ページ)
【問】その気がないのに、なぜ朝時の誘いに乗ったんですか?
【答1】彼の目があまりに怖くて、拒否したら何をされるか分からなかったから……
【答2】ちょっと怖かったけど、そこまで自分を愛してくれたことがわかって、満更でもなかったから……
答えがどっち(あるいは他の理由)かはともかく、朝時による夜這い事件はたちまち発覚、実朝は大激怒です。
「うちの愚息がすみません。コイツは勘当(義絶)の上で駿河国へ追放します!」
義時は朝時を絶縁し、駿河国富士郡(現:静岡県富士市・富士宮市)で謹慎させたのでした。
……相摸次郎朝時主依女事蒙御氣色。嚴閤又義絶之間。下向駿河國富士郡。彼傾公。去年自京都下向佐渡守親康女也。爲御臺所官女。而朝時耽好色。雖通艶書。依不許容。去夜及深更。潜到彼局。誘出之故也云々。
※『吾妻鏡』建暦2年(1212年)5月7日条
【意訳】相模守(義時)の次男である朝時は、女がらみの不祥事で将軍家の怒りを買った。嚴閤(げんこう。偉い人、ここでは義時を指す)は朝時を勘当し、駿河国富士郡で謹慎させた。
その女とは建暦元年(1211年)に京都から下って来た佐渡守親康の娘。傾城の美女であり、御台所(実朝の正室。坊門信清の娘)に仕えている。