女性スキャンダルで勘当!?北条義時と比奈の子供「北条朝時」の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】 (7/9ページ)

Japaaan

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※『吾妻鏡』建暦3年(1213年)5月2日条

「面白ぇ、相手してやらぁ!」

奮戦する朝比奈義秀。鬼のような金棒がトレードマーク。歌川芳員筆

太刀をとって義秀に斬りかかった朝時ですが、ここで手傷を負ってしまいます。命からがら逃げ延びたのは、すぐれた兵略と筋力のゆえだとか。

「大丈夫か!」

「あぁ、これで将軍家もお赦し下さろうか……」

果たして和田一族は鎮圧され、朝時は武勇の甲斐あって御家人の列に復帰を果たしたのでした。

エピローグ

その後、承久3年(1221年)に勃発した承久の乱では北陸道の大将軍として上洛。勝利の後は北陸諸国の守護職を務めます。

元仁元年(1224年)に父・義時が亡くなると六波羅探題として在京・不在であった泰時に代わって弟たちと共にその葬儀を執り行いました。

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