比企能員、暗殺計画!北条時政の命により仁田忠常と天野遠景は…後編【鎌倉殿の13人】 (6/10ページ)
ところで、鎌倉幕府の公式記録である『吾妻鏡』には「政子が頼家と能員の陰謀を障子の陰から聞いていた」と記述されていますが、本当でしょうか。
……追討之儀。且及許諾。而尼御臺所隔障子。潜令伺聞此密事給。爲被告申。以女房被奉尋遠州……
※『吾妻鏡』建仁3年(1203年)9月2日条
【意訳】(頼家は能員に対し、時政を)討つことを許諾された。政子は障子ごしに二人の密談を聞いてしまい、女官を派遣して時政(遠州)に伝えた。
しかし頼家と政子は同居しておらず、仮に政子が見舞いに来ていたとしたら、政子に聞かれかねない状況でその父・時政を討つよう密談などするでしょうか。
障子の向こうに誰かいたら、気づいてしまいそうなものだが……(イメージ)
この現代ドラマ的に不自然な状況は『吾妻鏡』編者による曲筆(筆を曲げる、転じて事実と異なる脚色・捏造)と言われ、ドラマチックであるがゆえに民間に流布していた「物語」がそのまま記録された可能性も指摘されています。
では、政子がリークしたのでないとすれば誰が時政討伐の情報を伝えたのでしょうか。
一説として、頼家がかねて側近として重用していた中野五郎能成(なかの ごろうよしなり)ではないかと言われています。
先ほど、時政が能員を館へ誘い込む時に狙撃手として中野四郎(なかの しろう)を配置していました。