歌舞伎「紅葉狩り」で鬼女を倒した平維茂を祀る長野県上田市の将軍塚 (1/6ページ)

心に残る家族葬

歌舞伎「紅葉狩り」で鬼女を倒した平維茂を祀る長野県上田市の将軍塚

長野県上田市別所(べっしょ)温泉に所在する天台宗の名刹・常楽寺(じょうらくじ)の参道の入り口に、「将軍塚」または、「維茂(これもち)塚」とも呼ばれている塚がある。立て札によると、塚そのものは、古墳時代中期につくられた、高さ3mあまり、周囲10mあまりの中型円墳で、土地の豪族を埋葬したものだという。そしてその古墳の上に、鎌倉時代のものと推定される高さ2.7mほどの、古びた多宝塔が立っている。

■平維茂と鬼女との戦いは紅葉狩りという題目で歌舞伎化された


ここで顕彰された、または葬られたとされる「将軍」または「維茂」とは、平安時代中期の10世紀後半に活躍した伝説的な武将、平維茂(生没年不詳)のことだ。維茂は武勇に優れていたばかりではなく、『法華経』8軸を毎日転読し、恵心僧都源信(えしんそうずげんしん、942~1017)に帰依していたことから、源信より「極楽迎接(こうしょう)曼荼羅一鋪」を贈られたほど、信心深い人物だったとされる。その維茂が倒したという鬼女にまつわる伝説がこの地に残っており、後にそれが室町時代の能作者・観世小次郎(かんぜこじろう、1435~1516)によって、「紅葉狩(もみじがり)」という題名で謡曲がつくられた。そしてそれは歌舞伎化され、今日でも有名な題目となっている。

■鬼女とは

日本語において昔から長らく、「鬼女(きじょ/おにおんな)」という言葉(名詞)はあっても、「鬼男(きだん/おにおとこ)」という言葉は存在しなかった。もちろん、「残酷さ」「意地悪さ」の比喩として、「鬼のような男」と表現されることはあるが…何故そうなのか。それは諸悪の根源とされる「鬼」は男であることが「当たり前」で、女が世の男たちを圧倒し、時に人の命を奪う「鬼」そのもの、または「鬼のような女」になるのは「例外」「よほどのこと」と考えられてきたからだろう。

そのように「当たり前」ではない「鬼女」は言うまでもなく、異常な存在である。それゆえ、「英雄」に「成敗」されるべき、恐るべき敵。

「歌舞伎「紅葉狩り」で鬼女を倒した平維茂を祀る長野県上田市の将軍塚」のページです。デイリーニュースオンラインは、社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る