歌舞伎「紅葉狩り」で鬼女を倒した平維茂を祀る長野県上田市の将軍塚 (2/6ページ)

心に残る家族葬

果ては人間ではない、得体の知れない妖怪変化のたぐいととらえられてきた。「鬼女」の怖さそのもの、または普通の女性が「鬼」になるに至るまでのエピソードが民話や伝説、物語の中心になる場合もあれば、逆に、「鬼女」が人々に恐怖を与えるような悪辣非道な振る舞いをなしていたが、苦難の果てにそれを倒すことができたとして、主人公である英雄の力強さや勇猛さはもちろんのこと、知略の巧みさ、存在そのもののカリスマ性を際立たせる役割を果たすこともあった。

■鬼女・紅葉の生い立ちを調べてみた

平維茂が倒したという鬼女・紅葉(もみじ)だが、明治19(1886)年に出版された『北向山霊験記戸隠山鬼女紅葉退治之伝(きたむきやまれいげんきとがくしやまきじょもみじたいじのでん)』によると、紅葉の幼名は呉羽(くれは)。承平7(937)年、父・伴笹丸(とものささまる)、母・菊世の間に奥州会津(現・福島県福島市)で生まれた。

父方の先祖は、貞観8(866)年、政(まつりごと)がなされていた大内裏(だいだいり)の内側にあった応天門(おうてんもん)炎上の罪で伊豆に流された、大納言の伴善男(とものよしお)だった。笹丸・菊世夫婦はなかなか子宝に恵まれなかったことから、また、本来であれば都で高位にあった先祖が政争に負けて、流刑の地で不遇のまま生涯を閉じる羽目になったことに関して、「世を恨む」気持ちもあったのか。よりによって、仏道修行を妨げ、人の心を悪へ誘惑する魔王である、第六天魔王波旬(はじゅん)に祈願した。そこで生まれたのが呉羽だった。呉羽は美貌を備え、音曲(おんぎょく)の技芸にすぐれていたものの、心は「鬼」そのものだった。ある時、自分を恋い慕う村の豪農の青年から、結婚の支度金として100両もの大金をだまし取った。そしてそれを「軍資金」に親子3人は天暦6(952)年、妖術で生み出した自身の身代わりを残し、京に上った。

■鬼であることを見破られ追われてしまった紅葉

「心機一転」ということなのか、家族はおのおの、父は伍輔(ごすけ)、母は花田、呉羽は紅葉と名前を改め、今で言うメインストリートの四条通に小間物屋を開いた。

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