歌舞伎「紅葉狩り」で鬼女を倒した平維茂を祀る長野県上田市の将軍塚 (4/6ページ)
そして降魔(こうま、仏教で、悪魔を降伏させること)の剣を授けた。これを携え維茂軍は、紅葉一派がいる戸隠の岩屋に乗り込んだところ、ちょうど紅葉たちは酒宴を張っていた。紅葉は得意の妖術を使うが、それが一切効かない。愛息・経若丸も打たれてしまった。半狂乱の紅葉に向かって維茂が白羽の矢を放つと、矢は紅葉の右肩を射た。すると紅葉は鬼の正体を現し、空中に舞い上がった。そして火炎を吐いて維茂勢を攻撃したが、仏のご加護だろう。紅葉めがけて金色の光が差し、その衝撃で紅葉は大地に落下した。必死に抵抗した紅葉だったが、とうとう首を斬られてしまった。しかしその首は空高く舞い上がり、どこへともなく消え失せてしまった。そこで維茂らは紅葉の両腕を首桶に収め、深い穴の底に埋めた。挙兵から3ヶ月後の10月25日のことだった…
■鬼女退治のその後
鬼女退治の伝説と関わりがあるのだろうか。北向観音堂に伝わる縁起によると、維茂は信濃守になった安和2(969)年に観音堂を修理し、更にその本坊である常楽寺(じょうらくじ)・長楽寺(ちょうらくじ)・安楽寺(あんらくじ)の「三楽寺(さんらくじ)」の四院六十坊を増築したと伝えられている。
また、維茂の墓所は「ここ」ばかりではなく、新潟県東蒲原(ひがしかんばら)郡阿賀町(あがちょう)に所在し、長徳元(995)年、維茂が建立したと伝えられる曹洞宗の平等寺(びょうどうじ)薬師堂内にあるとされ、会津藩初代藩主・保科正之(ほしなまさゆき、1611〜1673)によって、寛文8(1668)年に墓石が建てられている。それゆえ、別所温泉の「将軍塚」は、鬼女紅葉を倒したか否かはともかく、「ここ」で多大な貢献をなした維茂を顕彰するために祀られたものではないか。
■鬼女の正体
ところで、維茂が倒した紅葉こと「鬼女」とは、そもそも「誰」だったのか。