庭でチャンバラしていたあの子たちは?義時と比奈の子・北条重時の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】 (2/4ページ)
例えば『吾妻鏡』には兄の朝時や(義時の後妻が生んだ)異母弟たちの元服式については記載されているのに、重時の元服式は記録がありません。
(側室の生んだ義時の四男・北条有時の記録もないので、同等の扱いだったと考えられます)
きっと「謀叛人の血を引く者」として、祝ってもらえるどころか白い目で見られていたのでしょう。
15歳となった建暦2年(1212年)には兄の朝時が女性スキャンダルを起こして義時に勘当されており、ますます肩身が狭かったろうことは察するに余りあります。
※北条朝時の生涯:
女性スキャンダルで勘当!?北条義時と比奈の子供「北条朝時」の生涯をたどる【鎌倉殿の13人】 六波羅探題として上洛そんな重時でしたが承久元年(1219年)に将軍を警護する小侍所(こさむらいどころ)別当に就任しました。
元仁元年(1224年)に父・義時が亡くなると異母長兄の北条泰時(演:坂口健太郎)が鎌倉幕府の第3代執権に就任します。