愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【前編】 (3/6ページ)
で、その式部丞ってのは何をするンだ?」
「……さぁ?」
延応元年(1239年)7月20日には頼経が気まぐれで夜遊びに出かけるとこれにつきあったり、寛元2年(1244年)7月16日には隠し芸大会に出場したり、何かとノリのいいキャラだったようです。
久遠壽量院供花結願也。大殿將軍家入御。岡崎僧正。内大臣法印。大藏卿法印以下參集。垂髪僧徒并俗人相分延年。毎事催興。光村。家村等施藝云々……
※『吾妻鏡』寛元2年(1244年)7月16日
【意訳】この日は久遠寿量院(くおん じゅりょういん。頼経の持仏堂)に献花する法要が開かれ、頼経(大殿=前将軍)と藤原頼嗣(よりつぐ。頼経の子で現将軍)が参列された。名だたる僧侶たちが集まり、お寺チームと俗人チームの対抗で恒例の隠し芸大会を行なった。三浦光村(みつむら。駿河三郎)と家村兄弟たちも隠し芸を披露したのだとか。
この時、光村と家村はそれぞれ別の芸だったのか、それともコンビネタを披露したのか、何よりどんなネタでウケたのか滑ったのか、是非とも記録しておいて欲しかったですね。
でも、こんな楽しいことばかりじゃありません。