愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【前編】 (4/6ページ)

Japaaan

あわや合戦勃発!?一本の矢から大喧嘩

未尅。若宮大路下々馬橋邊騒動。是三浦一族与小山之輩有喧嘩。兩方縁者馳集成群之故也。前武州太令驚給。即遣佐渡前司基綱。平左衛門尉盛綱等。令宥給之間。靜謐云々。事起。爲若狹前司泰村。能登守光村。四郎式部大夫家村以下兄弟親類。於下々馬橋西頬好色家。有酒宴乱舞會。結城大藏權少輔朝廣。小山五郎左衛門尉長村。長沼左衛門尉時宗以下一門。於同東頬又催此興遊。于時上野十郎朝村〔朝廣舎弟〕起彼座。爲遠笠懸向由比浦之處。先於門前射追出犬。其箭誤而入于三浦會所簾中。朝村令雜色男乞此箭。家村不可出与之由骨張。依之及過言云々。件兩家有其好。日來互無異心。今日確執。天魔入其性歟云々。

※『吾妻鏡』仁治2年(1241年)11月29日条

時は仁治2年(1241年)11月29日、その事件は起こりました。

お昼過ぎ(未の刻、14:00ごろ)に若宮大路は下馬橋の西側にある遊郭で、三浦泰村・三浦光村・三浦家村ら兄弟親類が集まってドンチャン騒ぎ(酒宴乱舞)をしています。

一方、反対の東側では結城朝広(ゆうき ともひろ。大蔵権少輔、結城朝光の嫡男)・小山長村(おやま ながむら。五郎左衛門尉、小山朝政の孫)・長沼時宗(ながぬま ときむね。左衛門尉、小山朝政の甥)・結城朝村(ともむら。上野十郎。朝広の異母弟)らがいい感じに楽しみ、いい感じに酔っぱらっていました。イヤな予感しかしませんね。

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