愉快だけど、キレると怖い?北条一族の魔手から家名を守り抜いた鎌倉武士・三浦家村【前編】 (6/6ページ)

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それぞれ家人郎党を掻き集め、今にも合戦が始まりかねない勢いです。やがて次から次から軍勢が集結し、さながら坂東の南北頂上決戦(※)の様相を呈してきました。

(※)三浦一族は相模=神奈川県、小山一族は下野=栃木県を本拠地としています。

「……あンのバカども、何をしておるんじゃ!」

急報を聞いた執権・北条泰時(ほうじょう やすとき)の驚くまいことか、ただちに側近の後藤基綱(ごとう もとつな。佐渡前司)と平盛綱(たいらの もりつな。左衛門尉)を派遣して食い止めさせます。

『武家百首』より、佐渡前司基綱。

「うぬら、何をしておるか!散れ!」

「散らねば将軍家への謀叛と見なし……てめぇらまとめてブッ殺したらぁ!」

その剣幕を前に恐れをなした訳では決してないものの、なるべく事を構えたくない両党は渋々兵を引き上げ、何とか鎌倉炎上は避けられたのでした。

ちなみに、三浦と小山の一族は日ごろ互いに仲良しで、この日はどうしてこんなことになってしまったのか分からなかったと言います。きっと魔が差しでもしたのでしょう。

さっきまで笑って酒を酌み交わしていたのに、しょうもないことでカッとなって親友を斬り殺す。鎌倉武士というのは、とかくそんなノリで生きていたのでした。

【後編へ続く】

※参考文献:

細川重男『頼朝の武士団 鎌倉殿・御家人たちと本拠地「鎌倉」』朝日新書、2021年11月 細川重男『宝治合戦 北条得宗家と三浦一族の最終戦争』朝日新書、2022年8月 中塚栄次郎『寛政重脩諸家譜 第三輯』國民圖書、1923年2月 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』霞会館、1996年11月

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